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by セラピア函館

輝き増すホワイトハウス~北海道新聞

輝き増すホワイトハウス
美しい姿守り続ける
建学の精神、今に伝えて

ホワイトハウスといっても米国大統領官邸のことではない。1908年(明治41年)に建設され、このたび国の重要文化財に指定答申された遺愛学院の旧宣教師館のことである。
ホワイトハウスとは、外壁が白色ペンキ塗りのためだが、完成直後からこの愛称で呼ばれたことは1909年の同窓会記録によっても明らかである。しかも、この愛称は遺愛の関係者だけに通用したのではなく函館出身の文芸評論家亀井勝一郎が函館八景の一つに「ホワイトハウスの縁影」をあげ、また「牧場の隣に外人宣教師の住む白亜の洋館が見えた、我々中学生はホワイトハウスと呼び、それはまたここに通う女学生を意味していた」と回想したように、市民権を得ていたのである。
遺愛学院は1882年(明治15年)開校し、最初の宣教師館は元町の現遺愛幼稚園の上段の地に建設された。当時の宣教師デビッドソンは米国領事を兼務していたから、この館は米国領事館でもあった。ここを同年12月に内村鑑三、1887年に同志社創立者新島襄夫妻が、1892年には札幌農学校教授新渡戸稲造夫妻が訪れたというエピソードもあるが、惜しくも1907年(明治40年)の函館大火で焼失した。このためホワイトハウスは二代目の宣教師として現在地に建築されたのである。
建築様式は木造二階建て、基礎レンガ積、外壁横羽目板、胴蛇腹破風、上げ下げ窓で統一されており、屋根は便利瓦であったが後にトタンぶきに替えられた。設計者は当時の宣教師報告に「建築や造園に詳しく新舎建設に専心した」と記されているミス、ハンプトンと推定される。
永年歴代宣教師と学校長の宿舎として使われたが、傷みが進んで1978年以降は理事会、同窓会、PTAの会議場としてその役割を果たしてきた。幸い1982年に北海道の指定文化財となり、1992年には北海道、函館市、文化財保護振興財団の支援を受けて修理保存整備工事が行われた。これによって純白の清楚なスズランを思わせる美しい姿が一層輝きを増し、信仰、犠牲、奉仕の建学の精神を今に伝えている。(ホワイトハウスの一般公開は、平成元年6月23日に予定されている。)


平成元年5月23日、水曜日 北海道新聞、いさり火

遺愛女子高講師、作山宗邦




設計者は、2年前にガーディナーであることが判明された。 遺愛学院より
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by selapia | 2014-07-26 13:54 | 函館ここがイチ押し | Trackback | Comments(0)